やがて、つわりがひどくなり、トイレでうずくまる事が増えました

悲壮感漂う私とは違い、毎日がただ楽しいパフ君は
トイレに駆け込む私を追って楽しそうに走って来る。新しい遊びだ〜!と思ったのでしょうね。

顔を寄せて
「あそぼ〜!」とハァハァ言っている。その息の匂いに、また気持ち悪くなる始末。

きょとんとした目で覗き込まれ、思わず笑ってしまいました。 

お腹が大きくなり、ひざの指定席が狭くなりましたが、
それでも必死に、ひざにしがみついて眠るパフ君

そのあたたかなぬくもりは、いつしか流産のトラウマから私を救い出してくれました。


命のあたたかさ。 人も動物も 同じ 命。


相変わらず、トイレは失敗するし、何でも食べちゃうし、手のかかる子ですが、
それなりに心が通い合い、お互い、なくてはならない存在になっていました。

母親学級で知り合った仲間達にあえる検診は、楽しみな時間。

あるとき、お腹の子供に音を聞かせて反応を見る、と言うことをやりました。


同じような予定日のママたちは、子供がびっくりして動く様子を楽しげに話しています。

けれど私は真っ青になっていました。

検診のたびに、何度もやってみたけれど、全く反応しないのです。


やがて私は勝手に「聞こえない子なんだ・」と決め付けてしまったのです!

・・・おしゃべりしたかったな・・。本も読んであげたかったな。

一緒に歌いたかったな。ママって呼んで欲しかったな。涙がこぼれてとまりませんでした



駅で、補聴器をつけた坊やとママを見かけました

楽しそうに手話を交えておしゃべりするふたりの、本当に楽しそうな笑顔を見て

私もあんなふうに笑顔で暮らせるのだろうか、と いつまでも後姿を見ていました。



結局、その後の検診で 「うるさいな〜」と反応したムスメ。

お腹の上でパフ君がワンワン騒ぎ、毎日妙な声で母親があれこれ騒ぎ(仕事です・・)、

少しくらいの音じゃビクともしない訳だったのです。

「本当に馬鹿ね〜、勝手に思い込んでたの? でも良かったね、元気な子で」と笑われました。

けれども、私は絶対に忘れずにいよう、と思います。


こうしている今も いろいろな障害を持って生まれてくる子供達がいます。

そして、その事実をしっかりと受け止めなければならない親達がいます。

私達と同じく、新米ママやパパです。

それは、もしかしたら私であったはずです。 私の娘であったはずです。あなたであったはずです

人事なんかではないのです。


だから、その子供たちが、自分らしく、安心して生きるために

不安を抱えるお母さんを、まわりのみんなで支えて行かなくてはならないはずです。

同情などではなく、自分のことなのだと感じられる自分であろうと思います。



もしも、お腹の子の体に何か問題があったら・・・と一度は考えた人もいると思います。

元気であって欲しい、と祈り、生まれるその日まで大切に守り・・・

命がけで みんな同じ思いをしながら母になります。

だから、人事ではないのです。昨日の自分であり、もしかして、明日の自分なのですから。

今、こうして手のかからない子供を預からせていただいた私は、 
多分、子供に助けられてやっと歩いていける程度の器なのかもしれないな・・・と思います。


「元気でさえあれば・・」 それはなんと贅沢な望みなのでしょうね。

何かが出来るから可愛い訳ではなく 、あなたが丸ごと愛しいのよ・・


あの日、手話で話していた坊やとママは、沢山のことを乗り越えて信頼しあい・・・
そんな当たり前のことは とっくにわかっているから、あんなにしあわせな笑顔だったのでしょうね。

ですから、聞こえると言うことが、私にとっては特別な事に思え、嬉しくて嬉しくて

首もすわらぬうちから絵本を読み、歌を歌い、たくさん話をしました。

まるで、魔法の力を授けてもらったかのようにおもえたのです。

一度諦めた夢をプレゼントしてもらった事で、やっとその有り難さに気付いた訳です。


当たり前のこと、と見過ごしているしあわせがたくさんあります。

ささやかだけど、ものすごく有り難い事に、囲まれています。

それに気づくだけでも、少しだけ日々の景色が変わります。


子供と話せること、一緒に歩けること、食べたり、お風呂に入ったり・・・

毎日は奇蹟の集まりみたいなものかも知れませんね。

幸せは なる ものじゃない、しあわせだと気づくこと かもしれないな・・なんておもいます。


「ありがとう」、と寝顔にささやいてみてください、奇蹟の出会いを、感じられますよ。

流産してから、縁あって、死にかけていた子犬を飼うことになりました。


命と言うものに敏感になっていた私は「私がお母さんになってあげるからね」
必死に看病しました。

救えなかった我が子の代わりだったのかもしれませんね。

命は助かりましたが、その子犬は、呼吸停止の後遺症で、脳に軽い障害が残りました
噛みつくようなら 危険だから安楽死を と言われました。

幸い?彼は違う意味で変わっていました。

お腹がはちきれるほど食べ続けてしまうとか、
ダメ!と言っても何一つ覚えないとか
トイレを毎回失敗するとか、大事なものを噛み切るとか・・・その程度。

振り回され手を焼く日々の中で、私は次第に
イライラしたり投げ出したくなったり。

嫌な自分とご対面優しくない自分が嫌いになりました。

それでも少しずつ、何かが変わって行きました

出来なかった事を少しでも覚えてくれた時の嬉しさは、

賢いワンちゃんを育てている人にはわからないだろうな〜

なんておもいました。ダメなところも、不思議と愛しく思えました。

そんな風に、パフ君には沢山のことを教えてもらいました。


お母さんになる準備をさせてくれた私の天使君でした。

一度なくさないと、自分のしあわせに気がつかないなんて、もったいないですよね、

取り返せないものを失う前に・・・自分のしあわせに気づきたい・・ですね。

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そして、 そんな頃 再び私に宿った新しい命。 

でも、前回の恐怖から、体の緊張が強く、すぐにお腹が痛くなりました。

幸い、異常ではなく、神経的なものでした

「もっとゆったりとしていないと血流も悪くなるよ」
・・と注意されました

頭ではわかっていても、どうにもならない。

人の心や体と言うのは 難しい。 見えない傷の後遺症で苦しむことがあるのですね

不思議なことに、辛いと思っていたつわりも、ああ本当にお母さんになるんだな・・
と嬉しく思うようになりました。・・・そして・・

生まれてくる子供も、パフ君みたいに手がかかって 思い通りになんかならなくて・・・

そしてたくさんの笑いをもたらしてくれるのだろうな
、と思いました。

元気でさえあれば・・。

誰もがまず思うこと。ところが生まれてみれば欲が出て

もっと賢く、もっと早く、もっと優しく、もっと強く、もっと元気に、もっとかわいく、もっともっともっと・

あなたのためなのよ、と言い出して 自分の欲であることを認めなくなってしまいます。

きっと私も陥る落とし穴でした。

ちょっとしたハプニングがそれを防いでくれました。・・・それは・・・・・

検診での出来事でした。

自分以外の命と向き合うとき、思い通りになることなんて無い。

自分に都合のよい事が、相手にとって心地よいとは限らない。

出来ないことは数えない。できなくても、頑張った数をかぞえる。

煩わしさも、いつしか愛しさに変る。

頭ではなく、心でしか理解できないことがたくさんある。

出口はあるし、外は明るいのだ!と、気づいてほしいです。

外は明るいよ、出ておいで〜

2度目の妊娠、つわりも嬉しい

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それにしても、私の思い込みはたいしたものですね、

追いつめられた人間は、時に、周りの人にとっては考えられない事にとらわれてしまう事が
あるのかも知れません。

誰か一人でも、その苦しみに気づき、乗り越える手伝いが出来たなら・・・
後になれば笑えるような事かも知れませんね。

トンネルの中にいる本人は、それがトンネルだとは気がつかないのですから